秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

人を描く力

イメージ 1

昨日 NHKのBSで オレが大好きな韓国女優 チョン・ジヒョンの出ている『デイジー』をやっていた


多くの人は 『猟奇的な彼女』で チョン・ジヒョンを知った人が ほとんどだと思う

しかし オレが彼女の魅力を知ったのは 2000年に公開された 主演映画『イルマーレ

その繊細な芝居と存在感に 心を抉られた 以来 彼女の出演映画はすべて見ている

イルマーレ』はDVDまで購入して おそらく 100回以上 ひとりで見ている

作家モードになっているとき 深夜に眠れず 見ることが多い


一昨年 ハリウッドでリメークされ 『イルマーレ』と聞くと ハリウッド映画のそれしか

知らない人が ほとんどだ

オレは 鼻から ハリウッドでのリメークには馴染まないと 確信していたし 出演俳優を知って

見ようとも思わなかった 映画好きの津野さんに勧めて 彼女は両方見たらしいのだが

韓国映画のそれには 及びもつかない作品だったらしい


実は 『イルマーレ』を見たとき すぐに オレの手で いつかリメークしたいと思った

たが それは いまの日本では 至難だろうとも感じていた

イルマーレ』は 単なる せつない恋愛物語ではない それに気づける人は よほど鑑識眼

見識の高い人だろうと思う

オレが ハリウッドのリメークは無理だと思っていた理由も そこにある

しかし リメークの話題すらなかった 鈍感な日本の映画界に比べれば 目の付け所はいい


一昨日は 同じチャンネルで 中国の内陸部の寒村で 漢方医を続ける65歳の老医師の姿を

ドキュメントした番組が放映されていた

住民の大半は高齢者 若い世代は 都市部への出稼ぎに出ている しかし この不況で仕事もなく

世界不況の縮図が 中国奥地の黄河近郊の農村にも及んでいる

老医師には 自分の後を継がせたい3人兄弟の長男がいる しかし 彼は 金にならない村医者では

くってはいけないと 父に習い 漢方を学び 手伝いはしているものの 別の事業で成功したいと

考えている

もともと 中国内陸部は貧しい農家ばかりだ 中国の経済成長は沿岸部の限られた都市だけのもの

老医師の治療費や薬代さえ払えない 支払えず 付けになって 10年以上になる村人もいる 

村人も貧しいが 老医師の生活も 決して豊かとは いえない

貧しさを知るからこそ 働き盛りの長男は 子どもを大学まで行かせたく 金がなくては何もできない

と確信している 

しかし 老医師は 人を救う仕事こそ尊いのだと説得する 金がすべてではない

人のために生きられることこそ 人としての喜びだし 人に感謝される存在になることは

金ではえられないものがあるのだと 諭す が 長男は がんとして譲らない

いまの多くの中国の農村で 親子の間でやりとりされているだろう会話


だが 老医師が 長男に後を継いで欲しいという思いは 親の利己だけがあるのでない


老医師の家は 彼で三代続く医師の家系 しかし 10年に及んだ文化大革命で 資産家やインテリは 

財産を没収され 階級が下層階級ではないという理由だけで 公衆の面前で 

はやし立てる隣人たちの前で つばを吐きかけられ 物同然のように 暴力を受けた 

いままで笑顔でふれあっていた隣人たちから 友人 親戚 家族に裏切られた人々も多い 

それにより 自殺に追い込まれた知識層は少なくない


老医師の父は その日 また 公衆の面前にさらされ これまでにない暴行を受けた

両眼を失明し 腕の自由を失った そして 深夜 中学生だった老医師に

どんなことがあっても医師をやれ この村には医師が必要なのだと 言い残し

村のはずれの断崖から 投身自殺する


理不尽な暴力を受けながら 失明までしながら 最後に言い残したのは 自分をこれほどの

恥辱にまみれさせた村人たちへの 慈愛だった

その父の思いを継ぎ 老医師は かつて 中学生だった自分の目の前で 父を理不尽な暴力で虐待し

死に追いやった その村人にも 同じように 医療をほどこす


後を継ぎたくないと 譲らない長男が いつか そうした思いにたどりつけるのでないかと

期待を抱きながら まだ 5年はやれると 老医師は 小さなバイクにまたがり 

赤茶けた内陸の道を 走り続ける…


苛酷なロケだったろうにと 撮影したスタッフ 制作スタッフに 頭が下がる作品だった


映画は人を描くのだ エンターテナー作品であろうが オレがつくる社会派作品であろうが

人を描く その一点 それで すべてが決まる


しかし その力は 社会の抱えている矛盾 不条理さ 理不尽さを実感した中でしか 育たない

その感性を オレたちの国は 鈍化し続けている

鈍化しているから 拾えるのは 死をテーマとした作品しかなくなっている


それが悪いとはいわない しかし 重篤な病気に苦しむ 重篤な病気や障害を乗り越える姿を

描く それだけでは本当に 人を描いていることにはならない

オレは 情感に訴えるだけの映画には 手厳しい それは 人間を描いたような気になることの

危険性 人間を見たような気にさせる愚かさと 同居しているからだ


他者の不幸を 商業主義に載せる 大衆は 他者の不幸を見て カタルシスを得る

その姿は オレからすれば 浅ましい

昔 五木寛之が 『涙の河をふりかえれ』で 当時のヒットメーカー 演歌歌手 藤圭子につて

書いているように 大衆は他者の不幸をピラニアのように食べつくす 

不幸でなければ 人は 集まらない 提供する側もそれを知り ピラニアにえさを与えるために

不幸を探す 不幸を演出する そこに 人間の本質は描かれているようで 描かれてはいないのだ
 

毎日を普通に生きている人々の中に それが描けてこそ 映画なのだ

毎日の日常を支えている 虚飾の向こうにあるものを 透かせてこそ 人が描けるのだ


イルマーレ』が 日本でもリメークが難しいと オレが直感したのは

そこに 38度線が描かれているからだ もちろん ストーリーに直接 それにふれたものはない

だが なぜ この不可思議な二年間の タイムラグが必要だったのか

それを考えれば すぐにわかる

同胞同士が血を流し その矛盾を抱え続ける韓国映画は 

恋愛を描いていていても 日本映画のように甘くはないのだ