秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

遠い海、終わった夏休み

夏休みが終わる。というときが人にはある。
 
親友のCが手掛けていた、CX系のヒットドラマで、「ビーチボーイズ」という作品があった。二人の男がある事情で、一線から脇道にそれ、海の家の従業員としてひと夏を過ごす話。広末涼子が、デビューしてまもない、高校生の頃の作品だ。
 
人は、何かにがむしゃらに生きて、ふと、これでいいのだろうかと思うときがある。
 
はっきりとそう意識はしなくても、心の中に風が吹いて、寂しさを一人で抱え込んでいることがいやになるときがある。そんなとき、いままでの人間関係や仕事の輪から少し離れて、出会ったことのない人、いままで自分がふれてなかった世界にいってみたくなる。
 
つまり、夏休みをとりたくなる。どこか遠くへ行くということではない。すべての仕事を放り投げるということでもない。自分の費やす時間を別のことに、違う人間関係の中で過ごすということだ。
 
心が癒されたいとき、人はそうする。だが、夏休みはずっとは続かない。新しい情報や人との出会いの中で、やがて、夏休みから卒業するときがくる。それは、そこが自分の場所ではないからだ。
 
その作品では、海の家のオーナーが若い二人の青年にいう。「ここはオレの海だ。お前らの海じゃない。自分の海を探しにいけ。人には自分だけの海がある。そこがお前らのいる場所だ」。
 
夏休みの終り近くなると、人は、実はそのことに気づく。だが、世話になった人、自分の心を癒してくれた仲間、いろいろな出会いへの感謝の思いが、自分から卒業を言えなくさせているだけだ。だから、そのオーナーは、若い二人の背中を押した。
 
人は、いろいろなものと出会い、そして、別れる。出会ったときから、そこには別れがある。一期一会とはそういうことだ。いのちに限りがあるように、すべてに限りと終りがある。
 
その痛みの中で、人は自分だけの海をみつけていく。それは、もしかしたら、人が一生をかけて歩む道なのかもしれない。
 
オレの海は、まだ、遠い。