秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ヨイトマケの唄

昨夜のNHKBSの番組、「THE★STAR」は、美輪明宏特集。隠れ美輪ファンとしては、ついつい見てしまった。そして、泣いてしまった。
 
美輪明宏というと、若い人はタレント、霊感を持ったスピリッツアー、派手で艶やかな人というイメージしかない人が多いと思う。だが、もともとは歌唱力豊かなシャンソン歌手であり、俳優であり、作曲家作詞家である。
 
いまでは想像もできないほど、差別や偏見があった頃、芸能人として性同一障害を乗り越えて、それを男性でも女性でもない、妖艶さ、独特の美として芸にした、最初の人だ。
 
美しさはもちろんだが、その知性の高さ、教養の高さから、当時、シャンソンのメッカだった、「銀パリ」に登場すると、またたくまに人気者になり、川端康成三島由紀夫など当時の文豪、作家たちに強烈に支持された。当時は、丸山という本名を姓にして、丸山明宏が芸名だった。そこでますます、彼女(彼)は、知性を磨いたに違いない。
 
そして、またたくまに、映画スター、人気タレントになった。同時に、いまはもう中高年俳優となっている著名な俳優たちの無名時代の面倒をみて、スターダムに押し上げている。
 
オレが日本で最高の文学者だと尊敬いている三島由紀夫と深い交流があったことはよく知られている。三島が市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室で自決する前日、三島は、美輪の楽屋を訪れ、赤いダリアのバラを渡している。そのバラで別れを告げたのだ。
 
あまり知られていないが、美輪明宏は長崎出身で被爆している。
 
「銀パリ」のスターとなり、映画やテレビドラマに出演し、世間からもてはやされる。普通なら、それで終わる。しかし、そうした芸能界の華やかさの奥で、美輪には、被爆体験、性同一障害者への偏見や差別、それゆえの生活苦の体験があった。上京して生活ができず、明治大学を退学し、ガード下で暮らす生活も経験している。
 
それを救ってくれた恋人は、名家の長男だった。彼は結婚したいと願ったが、美輪は受け入れられないことがわかっているから、それは家族に言わないでと懇願した。
 
ある日、美輪を家族に紹介するといって、その恋人は美輪を家に誘った。その席で、何も知らない家族は、長男の結婚話を話題にした。すると、彼は、同伴した男性、美輪と結婚したいのだと正直に語ってしまった。家族の驚愕はいうまでもない。そして、不潔、汚いと、美輪を侮辱し、長男を叱りつけた。
 
ひとしきり批判が終わると、長男は、トイレにいってくるといって席を立った。だが、帰ってこない。美輪がトイレに様子を見に行くと、彼はトレイで首をつって亡くなっていたのだ。
 
異なるもの、異質なものを排除し、人の自由を蹂躙する。自分たちの価値観や考え方を押し付け、声を上げられないもの、弱者を踏みつけにする。そうした社会や世間の差別、偏見。そして、それが生む対立と諍い…。その現実を、美輪はいくつも体験し、だが、それを憎悪に変えず、愛に包むことで変えようとしてきた。
 
番組の最後、美輪の名曲「ヨイトマケの唄」が、丁寧に紹介された。まるで映画にように描かれたその歌には、貧しさの中でも笑顔を失わないでいようとする母と子の姿が描かれている。
 
小学生のとき、テレビでその歌が流れたときのことをオレは、はっきり覚えている。
オヤジもおふくろも、姉もオレも、その歌が流れるとぐっとわしづかみされたようにテレビに見入り、オヤジ以外は、みんな泣いた。おふくろが、いい歌やねと一言だけいい。オヤジも感動して、言葉を出さなかった。
 
そこには、当時の日本人、だれにもでもわかる生活の風景とそれを懸命に生きる姿があったのだ。戦争の傷と痛みと記憶をひきずりながら、苦しさの中でもなんとかばんばり抜こう。その熱いメッセージをだれもが感じていた。
 
番組に参加した、女子高校生たちは、きっと大きな宝物をもらったにちがいない。
 
この国には、語り継がなくてはいえない過去がある。伝え、理解し、自らも乗り越えなくてはいけない、差別や偏見がある。
 
半径5メートルの世界ではなく、いま自分の家庭、地域、社会、そして国、世界で起きていること。それを知ることがいかに大切か。
 
それを教えてくれた番組…。