秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

渡辺保先生のこと ー出会いー

渡辺保先生を知ったのは、大学の教養課程選択科目で武智鉄二先生(日活ロマンポルノの監督もやられた)の演劇概論、河竹登志夫先生(河竹黙阿弥の御子孫)の日本演劇史概論、鳥越文蔵先生の歌舞伎概論などを学んだときだった。いずれも第一人者で早大卒の先輩たち。

だが、それらの講義で渡辺先生を知ったのではない。先生たちの話の中で、歌舞伎を現代に復活させた稀有の演出家として、鈴木忠志という存在を知ったことが大きなきっかけだった。

ぼくは、少し遅れて来た早稲田小劇場(現在の劇団SCOTT)ファンで、大学前のモンシェリーという純喫茶の2階を拠点に公演活動をする最後の頃に、初めて舞台を見た。

それは、鈴木氏の構成による、シェークスピアの『マクベス』を土台にした、『夜と時計』。完璧に打ちのめされた。ぼくは、英文科に進もうとそのとき、決めた。シェークスピアを原書で読みたいと思ったからだ。以来、早稲田小劇場の舞台にのめり込んだ。


それからしばらくして、早稲田小劇場は、富山の利賀村に拠点を移した。

その間、鈴木演出を学ぼうと舞台だけでなく、鈴木氏の著作を読み、氏が絶賛する、世阿弥の「風姿花伝」に始まり、鶴屋南北の歌舞伎やシェークスピア、海外の現代演劇の演出家の演劇論、現代思想まで、関連する本は、とにかく読み漁った。

 

早稲田小劇場初期に座付き作家だった別役実もすべて読破し、文学座の公演にも通った。当然ながら、『テアトロ』『新劇』など、演劇雑誌は発売日に買っていた。新作の戯曲と演劇評や演劇論を読むためだ。


その中で、早稲田小劇場を絶賛した、渡辺保先生を知ったのだ。

早稲田小劇場の富山でのこけら落とし公演後、友人の知り合いが女優として参加していた縁で、声を掛けると「どうぞ、どうぞ」と、なぜか、打ち上げの席に同席させられてしまった。

 

そこにいたのは、舞台に登場していた、観世流能楽師の観世寿夫先生、弟で俳優、オペラ歌手だった観世栄夫先生。劇作家の清水邦夫氏、演劇評論家で後に、東宝で再会する大笹吉雄先生など、早大卒の演劇の先輩たちの他、錚々たる方々がいらした。女優の白石加代子さんにお酌いただいたときは恐縮した。

その中に渡辺先生もいらしたのだ。

先生は、東宝現代劇企画室長で、他の評論家や演劇関係者と違い、東宝の社員でもあった。後に、いまでは信じられないが、東宝は、帝国劇場で、早稲田小劇場の俳優と著名俳優を使い、鈴木忠志構成・演出の『スウィニー・トッド』を上演している。

あまり一般には知られていないが、いまも東宝で上演が続く、『レ・ミゼラブル』など、海外ヒットミュージカルの国内上演権を獲得したのは、演劇企画室長の渡辺先生と演劇部プロデューサーだった古川清先生の力が大きい。

余談だが、古川先生とは東宝戯曲科の頃には、面識がなかったが、晩年、友人が経営する外苑前の飲み屋でお会いし、東宝戯曲科にいたとお伝えすると、「何だ。君だったのか!」と言われ、主宰されていた舞台も拝見した。

「渡辺さんから、いい歳で小劇場なんて、やるんじゃないよって、怒られちゃたよ」笑いながらおっしゃったのを覚えている。ちなみに、古川先生は、昭和のコメディアン俳優、古川ロッパの息子さんだ。

渡辺先生とは、富山でのそんな微かな出会いだけで、ご専門の歌舞伎評論のほか、新劇、現代劇、前衛演劇まで広く評論活動を行われていて、そんな著名評論家の先生とまたお会いできるとも、演劇について語り合うことなど、恐れ多くて、到底ないと思っていた。

何冊か先生の歌舞伎関係の評論や研究書を読み、他の評論家とは全く違う視点や切り口があることに新鮮な驚きがあった。だが、実は、豊富な知識と見識、視点以上に、文章の巧みさに圧倒された。評論というより、美しい文章と斬新な言葉遣いに溢れ、こんな文章を書く才能とは、生涯ご縁はないと思ったのだ。

高校、浪人時代、そして大学と演劇をやり、そのまま就職もせず、劇団を続け、15年が過ぎた頃。利賀村で、微かに渡辺先生と同席してから5年以上経ったときだ。

劇団を解散し、結婚を機に、貧しい演劇人の暮らしから、社会復帰して、映像の世界へ舵を切ろうとしていた矢先のことだった。新聞の募集広告に、「東宝戯曲科募集」の記事を見つけた。

商業演劇に抵抗がなかったわけではない。だが、募集記事の公募主催に、東宝現代劇企画室とあった。すぐに、渡辺先生の姿が浮かんだ。早稲田小劇場を絶賛した方なら、自分の脚本や舞台を認めてくださるかもしれない。そんな淡い期待があった。そして、合格するかどうかもわからないまま、応募したのだ。

筆記試験の後、面接があり、そこには、演劇評論家で、共立女子大学の教授をされていた藤木宏幸先生、俳優座の演出家だった増見利清先生がいらした。いずれも演劇人ならだれもが知る方だ。増見先生の新劇とは思えない、斬新な演出『ロミオとジュリエット』(山本圭・佐藤オリエ)の舞台を高校のときに見ていた。

面接では、いままで上演した舞台のことや演劇トークで生田萬さんや流山児さんと登壇したことなど、聴かれるまま、答えたが、その席に、渡辺先生はいらっしゃらなかった。ただ、両先生の反応で受かったなと思った。

合格後、戯曲科のパスを渡され、帝劇の楽屋口から地下の稽古場に通うようになった。

しばらくして、東宝現代劇企画室の戯曲科担当スタッフと両先生、戯曲科のメンバーとの懇親会が東宝御用達のパブレストランであった。渡辺先生は、一瞬顔を出されたが、風のように帰られた。

富山利賀村と同じく、またも微かな出会いだった。それが、数ヶ月後思わぬ展開になるとは、まったく想像もしていなかった。


                               続く。